作者メモ

このページについて

  • 当wikiや架鉄についてのメモページです。

別ページメモ







リンク集






うだうだ

休止 (2023/05/07)

休止

中山電鉄いろいろ (2023/03/14)

Q:東金電鉄やNETNはいずこへ?
A:知らん

久しぶりに中山電鉄見ていたら中山電鉄やりたくなった(お前の架鉄そればっか)

路線

手賀沼線と高洲線を切り落とし、竜ヶ崎方面への延長線を追加。

あと都心方面への直通線を、従来は砂町線(東西線の北側に地下鉄新線)+東西線複々線化(浦安~原木中山)としていたところ、有楽町線延長(新木場~西葛西)+東西線複々線化(西葛西~原木中山)とするルートが思い浮かんだので追加。あと臨海地下鉄(東京~ビッグサイト方面のアレ)経由も思い浮かんだけど、遠回りなのと「有楽町線に絡めた方が良くね?」となりボツ。

有楽町線延長案は新木場駅回りの取り回しがやや難ありか。京葉線や首都高湾岸線を越えて東西線方面に出たいので、駅自体は地下にしたい。ただし、新木場CRへの出入りがあるので、構造物は現実の有楽町線相当(回送線)+東西線方面への連絡線(駅は地下?)になるのではないかと思う。まあそれでも建設困難ってレベルではないし、東京~葛西に10キロも地下鉄を建設するのに比べれば、新木場~西葛西に5キロ高架線を造るなんて格安ではありますけどね。

東西線複々線化については、中山電鉄と国鉄の乗り入れ他、将来の勝田台線延伸を考慮して、地上区間は用地を先行確保したというもの。まあ「東陽町以西をどうすんねん」ということで、複々線化は先延ばしされたという形か。

行徳線のアレやソレ
舞浜に延伸するとなると「京成が絡んでくるよな」というのを思い出す。

なので「中山電鉄は東西線開業以前から行徳線を保有しているので、当初は浦安~西船橋間は中山電鉄線とすることも検討されたが、建設費や直通運転時の国鉄との調整がネックとなっていた。その為、営団東西線は西船橋までとすることが取り決められ、開業と同時に行徳線は廃止とする方向であった。しかし、TDLへのアクセスルートを確保する為一転残存することになった」みたいな筋書きになる。行徳線の京成買収という話もきっとあったんだろうけど、オイルショックあたりの経営悪化で流れたんでしょうね。

中山というターミナル
中山電鉄の起点が下総中山なのは、あの辺で1920年代に総武線で開業していた駅がそこしかなかったから以上の理由はないのです(本八幡は1935年、西船橋は1958年)。あと当初は貨物輸送をやっていたので、国鉄線との接続は絶対という事情もあったでしょう。

なんというか中山というターミナル、色々線や運行形態を考えていると、「100年以上前に造ったインフラに振り回される鉄道」という趣があってよろしい(よろしくない)

いや、木下~舞浜みたいな列車を考えた時に、本八幡を経由すべきかしないかで悩んでいるんですよね。本八幡へ直で行っていればそこで悩む必要はなかったのですが……。ただ、配線のアレやソレを考えると、本八幡は非経由か。

次点として西船橋~行田~馬込沢みたいな線に付け替えてもいいんですが、そうすると中山競馬場非経由になるのがね……。ここを変えるとドツボにはまりそうなのであまりやりたくはないです。

Twitterどうしよ? (2023/02/11)

とりあえずtsukai231は当面観測用として運用。なお最近のゴタゴタとは無関係(のつもり)。ゴタゴタ以前からツイート自体は減っているので。ゴタゴタがトドメを刺した可能性は否定できないけれども。

とはいえ、なんやかんや騒がれつつも(観測範囲では)なんやかんや平常通りの人も多いので、まあ私みたいなのは少数派なのでしょうな。

一応なんも更新していないブログとタンブラーとnoteはあるけれども、活用するかはわからん。しない可能性が高い。

あとNETNが行き詰まり気味なので、東金電鉄の方にいるかも。

体力 (2023/02/11)

小説を書く才能は誰にでもあるよ!
単に、書き切る体力と気力と嘘を突き通す根性がないだけなのよ。

小説ではなく架鉄ですが「これはそうかも」となっている。特に体力。

私自身は老人に「まだ若造だろ(笑)」と言われそうな年齢なのですが、書き切るどころか手を付けるのもしんどくなりつつある。書くための時間はあるはずなんですがねえ……。

つい数年前には夜中にぶっ通しで架鉄の文章を書いていたものですが……。ただこれは生活環境の変化もあるんで体力云々とは関係ないかも。

冷暖兼用ヒートポンプ (2023/01/17)

実質的に四方弁が必要になるんですが、いつ頃できたのかがよくわからん。

これによればのP61(PDF側のページ番号)に「1852 年、イギリスの Lord Kelvin により開発された。この暖房方式の特徴は次のようなものである。国内では窓掛型ヒートポンプを1961年に三菱電機が製品化した」とある。なのでおそくとも1960年代頭には実用化されていたって感じなんですかね?0系新幹線(1964年登場)の空調装置も冷暖兼用みたいなので(なお、当該リンク先、全部読んでない)

3.5という数字の意味 (2023/01/15)

3.5というのは起動加速度の3.5です。

壮大な前置き
去年「ジェットカーを導入するかも」とか書いて色々調べていたんですが、もしかしたらジェットカーを導入しないかもというお話。

というのも満車時の加速性能がどうなるかがわからないんですよね……。なので雑な計算で色々推測をしてみる。

以下は雑な計算

起動加速度と引張力・重量の計算式は以下の通り
加速度[km/h/s]=引張力[kgf]/重量[t]/30.9

引張力を求めたいので式を変形すると
加速度[km/h/s]×重量[t]×30.9=引張力[kgf]
となる

起動加速度は4.5km/h/sで走行抵抗を仮に0.05km/h/s相当とすると4.55km/h/s
初代5001形の自重は27.5t
定員は140人。一人50kg(=0.05t)とすると、
100%定員は7t
200%定員は14t

以上より各乗車率での引張力は
空車時:4.55×27.5×30.9=3866.3625
100%乗車時:4.55×(27.5+7)×30.9=4850.5275
200%乗車時:4.55×(27.5+14)×30.9=5834.6925
となる

で、鉄ピク1005号(2022年11月号)P47にノッチ曲線が記載されていたんですが、掲載されているのはありがたいものの、1モーターあたりなのか、1M(4モーター)あたりなのか、1ユニット(8モーター)あたりなのかがわからなかった。

なお、初代5001形は定格272Aのところ、起動時に450A(!)も電流を食っているらしい(なにせ定格回転数が東芝製で2100rpm、東洋製で2400rpmの高回転型≒低トルクなので)。グラフより450Aだと4500kgfだと思われるので、↑の計算を鑑みると1M(4モーター)あたりの数値と思われます。

なので100%定員はいけるけど、200%定員はきつい(600A近くまで行く?)ということなのかしら?

仮に上限が4850kgfだとすると、
200%乗車時:4850/41.5/30.9=3.78km/h/s
300%乗車時:4850/48.5/30.9=3.26km/h/s
という計算になります。

(「いや300%まで乗って3.26km/h/sまで踏ん張れるんかい……」という感想)

ちなみに5271形(5261形の冷房仕様?)に300%乗車をやらせると、3.5km/h/sまで落ち込むらしい(参考)

以上を踏まえて
関東の地下鉄乗り入れ車って大抵3.5(3.3)km/h/sという数字ですが、もしかして300%定員まで行くとこのレベルの加速力までしか確保できないから、この数値になった的な?

実際、関東でも黎明期には初代東急7000系みたいに起動加速度4.0km/h/sの車両がありましたが、結局はどこもかしこも3.3か3.5km/h/sになっていますね。

じゃあNETNでは?
NETNでは速達と各停の2本立てで考えていたのですが、時期によっては各停オンリーになるかもしれないんですよね。すなわち速達に旅客を集中させて、各停は定員乗車以下で使うというメソッドが適用できない。

そうなると200%定員程度は考慮したいところで、「ならば京成赤電ベースでもいいよな?」となっている。あるいは、開業当初のオール普通時代は低加速(といっても3.5km/h/sですが……)、緩急分離の条件が整ってくる後年に高加速化、という流れが思い浮かんだ。

完全にある動画の受け売りなんですが、VVVFのジェットカーも面白そうだなと思っており、それっぽい車両の導入を考えている次第。あとこっちは1号線に乗り入れないので、電機子チョッパ制御の車を導入出来たら面白そうだよなとか。

オハ31の導入を検討 (2023/01/09)

というかTR11目当てなんですが。

この頃の台車は改軌を考慮して長軸台車としており、国鉄客車を標準軌化の上で制御車化してしまおうという試み。琴電950形が同じことをやってるんですね。

可能であれば荷重12t長軸のTR12を導入したいのですが……(TR11は10t)このあたりはどうなんじゃろうか。ざっと耐荷重を計算すると、定員120人・200%乗車・1人60kgとした時14.4t。仮にTc車28tとすると42t(>10t×4)なのできついですね。車輪・車軸自体の重さ(1t×4?)を含めなければ38tですが……。西武鉄道「だからTR12をかき集める必要があったんですね」

なお、DT10などの電動台車は短軸(=狭軌用)らしいので、そのままでは使用不可(参考)。まあ京成とか500形にMT7だのMT30だのを装荷していたので、モーター換装をやろうと思えばイケる気もする(知らんけど)。でもアレは改軌の時に新造したFS28が対応していたからなのかな?(ざっくり軸距を調べてみたけどよくわからなかった)

路線いろいろ (2023/01/08)

今年もよろしくお願いします。

昨年12/26に路線のページを起こしたばっかりですが、さっそく変更が生じました(いつもの)

主な変更点
  • 東習志野線を中野木~八千代台から大久保中央~八千代台に変更(習環線の支線化)
  • 花見川線を新設(中野木~さつきが丘)
  • 新津田沼支線を新津田沼線に改称
    • 公開時は「現在は廃止」という設定でしたが、「現在も存続」に変更。
  • 習環線の駅配置見直し
    • 津田沼~大久保中央間の1駅を廃止し、駅間を0.7~0.8キロへ調整(大久保~実籾は泉町(習環線と花見川線の交点)に駅を置くとどうしても0.5キロとかになってしまうのだ……)
  • 実籾~幕張本郷間の1駅を廃止し(東屋敷)、駅間を1.0~1.1キロへ調整。あと実籾本郷を南実籾に改称。
    • ↑と反する形になりますが、南津田沼~津田沼間の距離を0.6キロから0.5キロに短縮。高架(西袖ヶ浦)~地下(南津田沼)のアプローチを考慮。

以下は花見川線の設定。

花見川線
千葉市と習志野市の合作路線として開業。旧鉄道連隊線の津田沼~千葉間の廃線跡地を活用し、1972年までに大久保~さつきが丘間が開業した。

さつきが丘以南については、千葉まで延伸を進める計画であった。しかし、既に同駅以南の連隊線跡地が道路拡幅に用いられた為、さつきが丘~千葉間は地下鉄で整備するものとした。しかし、高額な地下鉄建設費に足踏みしている内にオイルショックが到来。更に1970年代後半には千葉市マスタープラン策定により、モノレールで整備する機運が高まった為、事実上延伸は中止となった。

津田沼~大久保間については、当初は連隊線跡地沿いに建設する予定であったが、津田沼駅付近が総武線の複々線化用地として召し上げられたため、連隊線ルートでの津田沼乗り入れが不可となった。結局津田沼付近のみ地下路線として整備することになったものの、費用と時間がかかることから、津田沼延伸まで暫定的に新津田沼線への乗り入れた。

現在、さつきが丘~穴川間が未整備区間となっているが、延伸の動きは鈍い。

いろいろ (2022/12/26)

ジェットカー
習環線の南津田沼~実籾間は駅間距離が0.5-0.6キロとなるため、高加速性能を持つ車両を投入したい。……というのは22/12/02にほんの少し書いておりますね。

両数は2連でスタートとし、その後3連、4連とへ増結を進めていく方向で考えている。2+2ではなく2+1なのは、輸送力の兼ね合い(4連では多すぎるが2連では少なすぎ)と、全電動車が高価すぎるので両数を減らして単車導入したという筋書きですね。

ただし、1960年代は利用者激増で輸送力増強に追われる時代なので、1960年代後半には4連化を余儀なくされると思いますが。なので単車については「造ったけど時代に合わなかった車両」的なポジションになると思います。

まあ、後世から見れば最初から2連だけ(後に4連固定)造った方が合理的だったんだろうけど、それは結果を知っているからそう言えるのであり。当時の視点だとそうするのも一つの自然な選択肢だった的な(単行新造に関しては過去視点でも未来視点でも「最善」だったかどうかは微妙だが……)

なお、NETNの高加速車は「習志野原のジェットカー」や「N-JET」みたいな愛称を付与したいと考えている所存。基本「○○版××」みたいな表現は好まないんですが、「習志野原のジェットカー」についてはちょっと気に入ったのでどこかで使いたい。

お古
NETNは1963年に従来の軌道線(新設軌道だけど)から高架新線に切り替え、かつ新線建設を進めていく予定。その過程で「安価に導入できる車両」を求める訳ですが、1960年代は残念ながら京成での余剰車はほぼなし(新京成に持っていかれてる)。

1968年だかに210形の更新で機器が余剰になっているのですが(台車やモーターを新調している)、これも新京成250形やらモニやらに機器を持っていかれているっぽいんですよね(どれがどこに行ったのか把握してない)。京成600形も1970年に台車とモーターを交換している(で、余剰台車を2000形のTR-11あたりと交換したっぽい?)のですが、これはどうしようか。こっちは検討中。

なもんで軌道線時代に保有していた小型車を転用する形で凌ぎ、1970年代前後からお古に手を出していく形になるのかなと思います。新造車は基本ジェットで習志野線の各停用、中古車は習志野線の急行用か他線用みたいな流れを予定。

なお、阪神では1960年代前半には1001形等の余剰が発生しているっぽいんですが、おそらくこれの導入はしないかな……。いや「ジェットカーについて教えてください!」と言いながら「あそこの引退した車両ください!」と言うのは色々アレなので。もう少し時代が下って「(ジェットカーの導入を進めようとしたけど)いや全電動車って高くて厳しいっすね~」「なんならウチのお古をもらってくかい?」みたいな流れならだったらまあ自然?

自動改札
磁気券方式による自動改札の実質的な普及は1971年頃から?連絡運輸はどうしようかしらね。

自動改札関連の話で面白いなと思ったのは、かつての阪神ジェットカーは深夜帯のみ2両運転としていたこと。夜は中間駅が無人となる関係で自動改札を開放しており、3両だと車内改札が大変なので2両に減らしたと。1987年には駅務機器のオンライン化により自動改札の遠隔操作が可能となったため、減車をやめて同時に運転台撤去を進めたそうな(鉄道ピクトリアル1005号より)

こういう形で車両政策に影響を与えているのは興味深いですぬ。

標準形車両 (2022/12/17)

標準形車両はつまらなくない!
表題のような主張をするのにはいくつか理由がありますが……。インターネットを始めた当初(2010年らへん?)、「新しい電車はつまらない」といった書き込みを目にしたことがきっかけだったと思います。今も昔も「新しいものをくさして、古いものを持ち上げる人たち」がいますが、そうした人たちによって、自分の好きな電車(≒当時の新しい電車であり標準形車両でもある)が貶されショックを受け、以降そういった思想には心の中で抵抗しています。

かといって「標準形車両はつまらなくない!」と声高に主張するのは私の主義ではないので、メモに愚痴を書いたり、架鉄にそういう主張をこっそり反映したりするぐらいしか出来ないのですが。

標準形車両で決めているのってフォーマットだったりシステム的な部分なので、そこから外れると実は自由度が高いんですよね。例えば車体寸法やドア数は各事業者で概ね共通(例外はあるが18mか20mに集約される)なので、そこはガイドラインで定める一方、「顔」や座席などのサービス的な部分はガイドラインでも変える余地を作っていたはず。

なので「標準形車両は"一から十までまったく同じ車両"を造ることではない」というのが今のところの自分の結論。より正確に書くならば「異なる事業者間でまったく同じ車両を造ることではない」や「同じ事業者内でまったく同じ車両を造り続けることではない」と言い換えてもよい。

前者の例としては、E233系と相鉄12000系の違いがわかりやすいか。基本的な構造、すなわち車体寸法・ドア位置や機器は揃えつつも、事業者の裁量となる顔や塗装、座席は大幅に変えたと。

後者の例としてはJR東日本でのE231系、E233系、E235系の違いのようなもので、いわば「技術の進歩」による差分と言えるか。E231系ではコスト重視としてものの、E233系では車体構造の強化や走行装置等の変更を実施、E235系では制御装置の変更(IGBT→SiC)や車体構造の変更(サスティナ化)による軽量化といったあたりか。というか車体構造ですら、実は「標準形」の範疇ではないんですよね(ガイドラインの原文を見たわけではないので定義してるかも)。このあたりは各メーカーで素材や工法の違いが多様であることにも表れていますね。

ではNETNにはどう適用するか
これが(自分の中で)一番大事な部分であり。NETNは京成の影響を強く受けているので、京成3000形がベースになるのではないかと思います。ただ、NETNでは4両+2両みたいな運用を検討している(まだ決定段階ではない)ので、京成3000形同様の足回りとするのは難しく、どちらかといえば名鉄に近しいスタイルになるのではないかと思います。

というのも京成3000形は6両又は8両と言う構成で、中間T車にSIVを搭載しているので、そのままでは4両とするのは不可。なので、SIVを移設して4両編成にすることになるのかなと思います。

ただ、これでは全電動車(Mc+M+M+Mc)となってしまい経済性に難あり。なので2M2TのTc+M+M+Tcにするのが合理的なのですが、そうすると3000形の機器が使いづらくなる印象です。3000形のモーター出力は125kWですが、おそらく4M2Tや6M2Tのような高MT比で使うことを前提として、出力を控えめにしているのだと思います(京急の方から目をそらしながら)。2M2Tなら170kW級のモーターを選定したいところで(※根拠なし)、3000形からどんどんずれていってしまいます。

あと、2連を設定する場合、Mcを起こしたり(この場合、4連でMc+T+M+Tcといった組成が有力になる)、制御装置の変更(1C2M×2群化など)が入ったりするので、正直もっとややこしくなりますね。なので、4連or6連みたいな構成になるのかなあ……(2連はごく一部の支線や増結用になる?)。

この他、増結用途の場合は前面に貫通路を設けたいので、その辺も3000形との差分になってしまいますね。すなわち、どうせ顔を変えてしまうのならば、もっと別のものに変えてしまおうという考え方です。

※モーター出力で性能を語るのはあまり意味がなく、電車の性能を表しているかというと正直微妙です(過負荷や減格をしていると額面と実態と異なってくるし、定格回転数や定格電流を見た方が実態に近いと思います)。ただ、車種によって出力の数値がまちまちである以上、何らかの根拠をもって定めていると思われ、おそらくそれは電流値なのだと思います(出力=電圧×電流であり、電圧は上限に達すれば一定なので、定格電流の大小が出力の大小になるはず)。ただ、その辺の詳細はよくわからないので、自分の架鉄においては「大体この辺だろう」という感覚で選んでいます。

長くなりましたが、結論は「日車ブロック的な何かになると思われるが、必ずしも京成3000形と同一になる訳ではない」といったあたりで、何が出来るかは実際にこねくり回さないとなんとも言えないところです。

で、標準形車両でもこういう風に色々考えられるので、「面白いでしょ?」というのが話の締めになります。とはいえ、他人(特にアンチな人)に納得してもらえるとは思っていませんが……。

ネックなのはいつも車両 (2022/12/10)

前にも書いたかもしれないが
電車の車両が好きなので車両系架鉄をやっているのですが、車両の両数を決めるところがいつもしんどく感じるところであります。このあたりは人によるでしょうが、自分の場合は「所要時間と折り返し時間、運行本数(何分間隔か)を決め、そこから計算的に割り出す」というものです。

「え?楽じゃね?」と思われるかもしれません(実際ダイヤ引いてそこから運用数を求めるのに比べれば断然楽だとは思う)が、系統ごとに計算しなければならないのと、年代ごとにダイヤも当然変わるので、「系統(路線規模)×年数的」な感じで計算量が増えて大変です。

とはいえ、ここから「楽」にする方法があるのかどうか……。いっそ路線系架鉄に転向してしまう?

なお、なぜ「数にこだわるのか?」と言えば、「数字あそび」が好きだからです。新車投入時に起きる旧形式の編成組替とか好きなので、どうしても各形式毎の車両数は確定しておきたい。

譲渡路線でいこうと思うが……
NETNは新車と中古車のハイローミックスで行こうと思います。標準軌路線なので、京成か京急、営団(銀座線と丸ノ内線)あたりになるのではないかと思います。関東外から仕入れてもいいのかもしれないんですが、そこはNETNのツテがないため。メタ的なことを言えば、作者(総武通快)が関西方面(というか山手線より西側)の私鉄を知らぬのだ……。

まあ「いついつにどの辺の車両を導入するか」は大体目星がついているんですが、問題はその詳細。どっかにまとめた記憶があるのですが、探しても見つからない。多分東金電鉄あたりに書いたものの、消してしまったくさいですね……。この辺の「情報をまとめて整理する」という行為も泥臭くてめんどくさいところではある(めんどくさがるな)

ツダデン→NETN→NETN2 (2022/12/02)

メモページに書き込むのは久しぶりですぬ。


「コイツまた同じところに同じような線引いているよ」と思われそうな今日この頃。2016年頃にはこういうのをやっていた時期もあるので、まあまるで進歩していない(2016年のは他者との共同でやっていた架鉄ですが)。

NETNは総武通快の習志野架鉄の集大成として考えており、要は習志野架鉄関係の要素を全部盛りしていたのですが、それゆえ「これを作り切るのは無理!(いつもの)」となり、色々線を削ってNETN2に至ります。なお、線を削って湾岸方面の線を独立させたのがベイサイドラインで、こちらも気が向いたらやりたいところです。

一応これからやる予定のNETNはNETN2(2代目)なんですが、NETN自体大して更新していなかったので、既存のページを上書きする形で進めたいと思います。

車両面では、習環線の一部駅間が0.5 - 0.6キロになっているので、阪神電鉄ジェットカークラスの加速力を持つ車両を入れたいところ。とはいえジェットカーでもターゲットは駅間1.0キロっぽいですが……。

なお「なんで習志野架鉄を作り直し続けているのか」と聞かれれば(誰も聞いていない)、答えるのは難しいところですが、習志野合同への未練があるためか。

以下、未練の内容をつらつら書いたものの、イケてないので折りたたみ。

折りたたみ


設立の経緯 (2022/07/10)

習志野電鉄の設立の経緯を書いてなかった気がする。

簡単に書くと、戦前に津田沼電鉄(軌道線を運営)が設立され、戦後旧連隊線の旅客化にあたって習志野電鉄(京成とツダデンの半々出資?)が発足。その後、津田沼電鉄の軌道線が廃止され、習志野電鉄の鉄道線のみが残った、という流れ。

もし書くならどこに書けばいいのかしらね。まあ、それはその内適当にやるかもしれないし、やらないかもしれない。

3年前とやっていることが変わらない? (2022/07/03)

そんなこんなで習志野電鉄5000系が出来た(未完成)

でも読み返していると「3年前に書いた千葉高速鉄道5000系と変わらないな~」という感想しか出てこない。一応世界観としては、都心に乗り入れるのが千葉高速鉄道、乗り入れないのが習志野電鉄なんですが……。

形式が似通るのは仕方がない(1960年代登場の1000系/2000系から世代順に並べたらこんなものだと思う)として、中身はどっちもE231系ベースなんだよな……。個人的には、E231系自体は通勤形としては完成度が高い(経済性、輸送力、汎用性のバランスが取れている)とは思うものの、「総武通快君は馬鹿の一つ覚えで架鉄をやっているのかね」と言われてもしょうがない。

じゃあ、E231系以外をベースにと言われると、20m級の車両なら多分東武50000系かメトロの車両(05系13次車あたり?)がベースになると思う。

この辺の「標準車両に逆らう術」を知らないのでアレですが、逆らうとすれば小田急3000形あたりになるのかね(知らんけど)。かつて受け売りで「小田急3000形は静かで云々(←乗ったことない)」と言ったら、「いや新型車両は静かで当然じゃないですか」といったことを言われたことがある。まあ、これ自体は乗ったこともないくせに受け売りしてるお前が悪いって話ですが。

でも「新しい車両は静かで当然」って技術に対する敬意がまるでないと言わざるを得ないし(※敬意がある必要は別になくていい)、今なら「E231系やメトロ15000系のモハに乗ってから同じことを言え」と返すかも。E231系は20年落ちで2世代前の「旧形車」になってしまいましたが……。なお、私はモーターをギャン回しする電車の方が好み。

どうでもいいですが、15000系はインダクションモーターをギア比7.79で回すセッティングでしたが、17000系や18000系ではギア比7.07なんですね。流石に110km/h運転が要求される東急線内で7.79は厳しいということなのかしら。

シンプル化 (2022/06/30)

路線をばっさり切った。

船橋線(船橋〜南船橋〜津田沼)と千葉側の路線(千城台方面と青葉の森方面)を削除。

その代わりに延伸構想と称して幕張本郷〜ポートタワーの路線が出来ていますが、やるかどうかは未定。

しかし、千葉高速鉄道の時はこっから都心だの市原だのに延ばしていたんだよな。たかだか3年前なのに、今となっては作り切れる自信がまったくない。

あとは東金電鉄内コンテンツでやってる千葉急行ネタをこっちに移管しようか考え中。運行系統的に津田沼まで行くんで、まあ習志野でしょ(こじつけ)

新栄問題 (2022/06/17)

名古屋の新栄(新栄町)ではない。

ふと「新栄って地名がいつできたのか」を調べたのですがよくわからず、「いかがでしたか?」状態に。

今昔マップで出てくるのが1975~1978年で、習志野市の年表では、1976年に「新栄幼稚園開所」という形で名が出ている。なので、遅くとも1976年か。

ここで問題なのが、少なくとも戦前の段階ではあの辺の駅名に「新栄」を採用できないこと。軌道線(津田沼電鉄線)は日立前(日大実籾の位置に日立精機≠日立製作所の工場があったため)、鉄道線(習志野電鉄線)は……どうしようか。

開業当初は東大久保、1976年の新地名成立以降は新栄ですかぬ。余談ですが、天台も開業当初は轟町、1966年以降は天台で考えています。

メーカーどうすんべ (2022/06/14)

汽車→川崎→?

みたいな流れにしようと思うが

汽車製造なのは、京成のツテで「日車、汽車、帝車から選べい」となった時に一番近い汽車製造を選んだため。車両を輸送するのも、小名木川~亀戸~津田沼なのでめっちゃ楽だしね(逆にそれ以外がめんどくさそうだな……)

1972年に汽車製造が川重に吸収合併されると、取引も自動でそちらに……と言いたいが、正直川重はよくわからん(汽車製造もよくわからん)

そもそも汽車製造はこれを見ていると、1960年代以降は大口向けがメインの印象を受ける。習志野電鉄は年間4両も発注すれば多い方(の予定)なので、はたして受けてくれるか?

ちなみに京成は3050形4両、3100形4両、3150形8両、3200形12両、3300形12両が汽車製。いや少なくね?

ならば汽車製造は行けそうだし、川重も流れで行けそう(川重の車両リスト)

個人的な好みで言えば、1970年代後半以降は別メーカーにしたいので、日車か東急かねえ……。小ロットで受けてくれそうなイメージは日車か

あとは試作セミステンレス/アルミ車体を入れてみたい。1960年にセミステンレス、1968年にアルミ(いずれも汽車製)か。なお、いずれも試作要素が強く、少数製造に留まる模様

また変なことを始めていますが (2022/06/09)

まあ、またその内飽きると思いますので。

前に千葉高速鉄道という架鉄をやっていましたが、路線は概ねです。違う点は開業時期で、あちらが1961年開業(だったっけ?)なのに対し、こちらは戦後すぐに運行を開始したという設定(なお、だいぶ前にやっていた習志野電鉄は、名前が同じだけの別架鉄です)。

宅地化前の開業なので、1950年代末までの三山~穴川あたりは利用者が少なさそう。駅も、三山、高津、花島、広尾、宮野木、園生、穴川みたいな感じか。今昔マップ見てると現在の花見川団地あたりに何もないのが意外です(「何もない」からこそ宅地化されたのでしょうが)。

車両は狭軌で、お古→1960年代あたりからおニューにしたいけど未定。細かいことはコンテンツで語りたいけど作れるかどうか。

  • 最終更新:2023-05-07 18:43:48

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード